前回のブログに続きます。
仙台を目指した主な目的は被災地の視察でした。
仙台からレンタカーを走らせること2時間足らずで福島県南相馬市へ到着です。
現地NPO法人「野馬土」代表理事の三浦様にご案内を頂きながら福島第一原発
の4km地点まで近づきました。大変わかり易い解説を頂き感謝しております。
この絵は地震後約9か月後における放射能の広がりを示した地図です。
この浪江町は福島第一原発が存在する町であり、地震と津波、そして放射能と
いう3つの甚大な被害に苛まれたエリアです。
浪江の駅舎です。人影は全くありませんでした。
震災から5年以上が経過し、避難指示解除の声も聞こえていましたので
遅々としながらも復興が進んでいるものと思っていましたが、現実は全く
異なりました。
作業員さんのご苦労のもと、除染作業自体は進んでいるようですが、海に近い
エリアは広い荒野に家の残骸がわずかに残っているだけです。
ここにも人影はなく、まるで時が止まっているように静かでした。
周辺に出されつつある「避難指示解除」の文言が虚しくこだまします。
町の至る所に線量計があります。濃度は測れても、放射能の怖さは計れません。
地震と津波に大切な家族、自宅や仕事を奪われただけでなく、
原発に「帰る場所」まで奪われた、それが原発事故の実態だと痛感しました。
奪われただけでなく、変わらぬ恐怖が続いています。
原子力発電の有用性はともかく、そもそも「安全」という大前提がなければ
荒唐無稽な話です。
折しも同じ日の新聞には美浜原発の40年超運転認可の記事が出ていました。
福島原発の問題も全く収束していないのに、この国はどこへ向かっているの
でしょうか。
最後にNPO法人「野馬土」さんから頂いた資料に掲載されている
「わが大地よ、ああ」という詩をご紹介して被災地レポートとさせて頂きます。